あの夏から”わたし”という自我が戻った
それは ”わたし” を探す旅のはじまりだった
中学1年生のとき、私は突然学校に行けなくなった。
きっかけはよく覚えていない。ただ、心に残っているのは“死”という言葉。
生きることに意味が感じられず、自分を消したいと思っていた。
そんな私が、ある夏の日、空に向かって祈った。
それはただの空想だったかもしれない。
けれどその瞬間、わたしの中で何かが動き出した。
――それが、私の“テーマ探しの旅”の原点だった。
あの頃のわたしは、“生きたい”とも、“死にたい”とも言えなかった
中学1年のときから、私は学校に行けなくなった。
理由は——正直なところ、よく覚えていない。
でも、はっきりと心に残っているのは、”死” の感覚だった。
何かに失望したとか、誰かに傷つけられたとか、明確なきっかけはない。
けれども、自分が嫌で嫌でたまらなくて、「こんな自分はもう、いらない」と思っていた。
ある夜、家の包丁を首にあてたことがある。
でも、それを最後までできなかった。
手の震えが止まらず、心の奥底から何かが必死に叫んでいた。
——**「本当にそれでいいのか」**と。
それからの私は、抜け殻のようになっていった。
自我が抜け落ちて、「魂がない」ような感覚
中学2年の夏ごろ。
季節が巡っていることにも気づけないほど、心はどこか遠くにあった。
人と話しても感情がついてこず、景色を見ても、音がしても、何も感じなかった。
**「私は誰?」**と、自分が自分である実感も薄れていた。
そんな日々の中で、私はアニメ『ドラゴンボール』だけは、毎週欠かさず見ていた。
唯一の楽しみというより、「いつものルーティン」だった。
そして、ある日の午後。
とても不思議なことが起きた。
空に祈った午後、地球に触れた日
風の気持ちのいい日だった。
私は、なんとなく家の前に立ち、空を見上げた。
青空。太陽の光。心地よい風。
そのとき、なぜか私は “元気玉” を作るように、両手を太陽に向けていた。
「草木よ、昆虫よ、川よ、海よ、動物たちよ…..」
「わたしに元気をわけてくれ…..!」
それは願いだったのか、祈りだったのか。
声には出していなかったけれど、心の中で何度もそう唱えた。
すると、両手に太陽の熱がふわっと集まってくるような感覚がした。
それと同時に、体の中がざわざわっと動き出すような感覚に包まれた。
細胞たちが目を覚ましたように、血液が勢いよく流れるように——
あれは、”生きてる” って感覚だったのかもしれない。
気づいたら、わたしはまた歩き出していた
その日から、少しずつ私は動き始めた。
誰に言われたわけでもない。
「学校に行きなさい」と強制されたわけでもない。
ただ、自分で学生カバンを手に取り、学校へ向かうようになった。
どうして行けるようになったのか?
正直、今でも答えは分からない。
でも、あの日の ”元気玉” の祈りが、私の中の何かを呼び覚ましたことだけは確かだ。
あれは、自然に助けを求めた私の、無意識からのSOSだったのかもしれない。
テーマは、”あの日の祈り”から始まった
今、こうして「自分らしさとは何か」「生きるとはどういうことか」を考える私の根底には、たぶん、あの日の祈りがある。
草木や昆虫、風や太陽に、
「生きる力をわけてほしい」と願った13歳の私がいたから。
その感覚が今もずっと、心のどこかで灯のように残っている。
わたしの ”テーマ” は、あの空に向かって両手を広げたときから、始まっていたのかもしれない。
『心』『こころ』の輪郭?
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