ブログリニューアルの理由とこれから|AI時代に”人間らしさ”を取り戻す書き方

なぜブログをリニューアルしたのか?

久しぶりに自分のブログを開いたとき、
そこには過去の私が残した、静かで未熟な言葉たちが並んでいました。
思考の迷いや感情の揺れがそのまま文章に滲み出ていて、どこか息づいているようでした。

その一方で、いま世界にはAIが生成した文章があふれています。
整っていて、速く、情報も十分に含まれている──まるで「模範解答」のような言葉たち。

でも、ふと思ったのです。

🧱 このままでは、私の中にある「人間であるがゆえの曖昧さ」や「一貫しない思考の余白」が、完璧な文章の波に埋もれてしまう。🧱

だから私は、あえて“未完成のままの表現”にも向き合うことにしたのです。

書くことは、感情と時間を封じ込める行為だった

昔の記事を読み返すと、「あのときの自分」が何かを感じ、どう考えていたのかがリアルに蘇りました。
ブログは、思考と感情のアーカイブであり、文章は単なる情報ではなく「時間の断面」なのだと再確認しました。
そして──AIが席巻する現代に改めて、わたしの視点でブログを継続しながら、人間らしさを表現していくことを決意しました。


AIには書けない「間」と「温度」を残す書き方

たとえば、昔の投稿にこんな一文がありました。

……なんていうか、よくわからないけど、ふと泣きたくなった。
……ただ、なんとなく、歩き出した。

この「……」や「なんていうか」、「なんとなく」は、情報としては曖昧です。
でも、だからこそ感情がありのままに伝わる。
言葉になりきらないその“ためらい”に、当時の私の呼吸が宿っていると今では思います。

AIは、正確で明快な文章は得意でも、
こうした「語られない感情の余白」や「思考の曖昧さ」までは再現できません。

人間が書く意味は、むしろそういう“言葉にならなかったもの”を残すことなのかもしれません。

AI時代に“人間らしさ”を表現するための5つの書き方

では、AI時代にあえて人が書く意味とは何か?
それは、「非効率で、不完全で、でも確かな何かを持った表現」を残すことです。
私は以下の5つの視点を意識しています。

“人間らしさ”と表現するための5つの書き方:

💭

曖昧さをそのままにする

たとえば、「たぶん」「…かもしれない」「なんとなく」
こうした曖昧語は、感情に“余白”を生みます。
その余白が、読者自身の感情と重なる場所になる。

🧠

記憶の断片を書く

「夏の夜、祖母の家で聞いた風鈴の音が、今も耳に残っている」
そんな個人的すぎる記憶が、不思議と誰かの記憶と繋がる瞬間があります。

問いで終える

「答えの出ない問い」を文章の終わりに残すと、読者の思考がその先へと続いていく。
例:“私は本当に、私のままでよかったのだろうか?”

👃

五感を呼び起こす

視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚を使った描写は、AIではなく、生きている人間だけが語れるものです。

  • 湿った土の匂い
  • 冬の朝に頬を刺す空気の冷たさ
  • 夕暮れの部屋に差し込む光の色

リズムと“間”を意識する

文の長さ、改行、句読点で“間”を作ることで、心のリズムを可視化することができます。

何かが変わりそうで、
でも、まだ何も変わっていない。

そんな朝が、好きだった。

🍃 風土が育てた言葉と感覚

私は「日本人であること」を、季節の移ろいや自然の気配に心を動かされる瞬間に強く感じます。

春の宵に香る沈丁花、雨上がりの土の匂い、夏の夜の風鈴の音──
それらは、ただの風景ではなく、感情と結びついた“私だけの風土”として、身体の奥に残っています。

そんな自然との共鳴が、私の書く言葉にも影響しています。
日本語には「明言しないことで伝える」という独自の文化があり、
私は文章の中に、「曖昧さ」や「余白」そして「気配」を残すことを大切にしたいのです。

風の音、川のせせらぎ、鳥のさえずり、草木の匂い──
それらの“感覚”は、私の思考や感情の根底にいつも流れていて、
季節の温度や湿度までもが、私の文章のリズムに影響を与えています。

AIが「情報」を扱うなら、
私は「気配」や「感覚」を、書き残していきたい。

それが、日本という風土に育てられた私にしか紡げない、
“人間らしい”文章のかたちなのだと思うのです。


これから綴っていくテーマと方向性

🌿 これから紡いでいく言葉たち

呼吸のように、浮かんでは消える思考。

ふいに揺れ動く感情の波。

私たちは、ただ情報を処理する存在ではなく、

感じながら変化を受けとめて生きる、生物としての人間です。

たとえば、季節の湿度や光の色。

肌にふれる、やわらかな風の感触。

そうした自然の気配が、

思考や感情の奥深くに、静かに染みわたっていく──

そんな体験が、言葉の源になることもあります。

急速に変わり続けるこの社会で、

私たちの内側もまた、矛盾や曖昧さを抱えながら日々変化しています。

それでも。

明確な答えを急がずに、

“わからなさ”のなかに立ち止まり、

揺らぎながら感じることを、

生きるひとつのかたちとして肯定してみたい。

この場所では、

  • 📌曖昧さにとどまること
  • 📌問いのままにしておく余白を抱くこと
  • 📌一貫しない思考や、こぼれ落ちそうな感情に名前をつけずに見つめること

そんな “人間らしさ” を、静かに記録していきたいと思っています。

もしかしたら言葉とは、

誰かのなかで、まだ名づけられていない感情と出会うために、

この世界に生まれてきたのかもしれません。


今、あなたに問いかけてみたいこと

今、あなたが感じている「小さな違和感」や「些細な気付き」は何ですか?

その感情に、まだ名前をつけていないだけかもしれません。

それは、あなたにしか書けない物語のはじまりかもしれません。

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