自分の設計図が見えないときに──“輪郭のない人生”を肯定するという選択

“輪郭のない人生”を肯定するという選択

「これでいいのかな?」と、答えの見えない日々に立ち止まるあなたへ。

目標がなくても、将来が見えなくても、今の“あなた”に意味はある。

この記録は、“輪郭のない人生”を生きるわたし自身の物語です。


わたしという人間

私には、はっきりとした未来のビジョンがあるわけではない。
誰かのように「こうなりたい」という完成形を持っている訳でもない。
ただ、自分の内面で起こっている小さな揺らぎや波紋、ふとした気づきを、そのまま書き留めておきたいと思った。

それは、明確な道筋ではなく、”輪郭のない設計図” を手にしている感覚。
この言葉には、変化の途中にいる自分を、そのまま肯定したいという願いが込められている。

「人生の設計図」が描けない自分を責めないために

数年前のわたしは、明確な目標や「こうなりたい」という像を持っていない自分に、うしろめたさを感じていました。
SNSや仕事、周囲の人たちはみんな、自分の未来をしっかり描いているように見えて、焦る気持ちが募るばかり。

でも最近は、輪郭のぼやけた“いまの自分”を少しずつ肯定できるようになってきました。
はっきりとした青写真はなくても、変化の途中にいることそのものが、わたしにとっては確かな「生の証」だと感じられるようになったのです。


明確なビジョンがなくても、人生は進んでいる

わたしには、「これが将来のゴール」と言い切れるような未来図はありません。
誰かのように憧れの姿を持っているわけでもないし、理想のライフスタイルを明確に描けているわけでもない。

でも、自分の内側で生まれる揺らぎや小さな気づきを、形に残しておきたいと思った。
それがこの「輪郭のない設計図」というテーマにつながっています。

この言葉には、変化の途中で揺れている自分も、否定せずに受け入れたいという願いが込められています。


完成された設計図ではなく、書き換え続けるメモのように

いまのわたしが持っているのは、完成された設計図ではなく、日々書き直されるようなメモ。
今日感じたこと、ふと思ったこと、そしてその曖昧さを、そのまま残しておきたい。

「これがわたしだ」と言い切ることはできないけれど、
「これがいまのわたし」と言える瞬間は、確かにここにある。

自分の感情や思考に名前をつけるのは難しい。だけど、その移ろいこそが、わたしという存在を成り立たせている気がします。
だからこそ、言葉にならない感覚や、にじんだ思いすら、意味のあるものとして記録したい。


「わからないまま進む」ことを、選択として受け入れる

最近のわたしは、「正しい選択」「理想のかたち」にこだわることを、少しずつ手放しています。
完璧じゃなくても、不完全なままでも、立ち止まりながらでも、前に進める。

不確かさはたしかに怖いけれど、同時に“可能性”でもある。
何者かにならなくても、いまの自分を否定しないで、そのまま存在していいと思えるようになりました。

たとえ線がかすれていても、図面に空白があってもいい。
その曖昧さを愛しながら生きていくこと──それこそが、「輪郭のない設計図」と共に歩むということなのかもしれません。


自分の“今”を描くために、立ち止まる時間を

もし今、あなたが「自分の道が見えない」と感じているのだとしたら、それは決してダメなことではありません。
明確な答えがないからこそ、見えてくる風景もある。

不安定で、わかりにくくて、名前のつけられない“いま”を、どうか否定しないでください。

ほんの少しの時間、自分の内側に耳を澄ませてみるだけでも、
“いまのあなた”の輪郭が、少しだけ浮かび上がってくるかもしれません。


もし今、あなたが何かの輪郭を見失っていたとしても、それはきっと”ダメなこと”ではありません。
曖昧な状態にあるからこそ、見えてくるものがあります。
わたしのこの記録が、あなた自身の内側を静かに見つめる時間のきっかけになれたなら、幸いです。

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