──記録は、未完成な自分を肯定する静かな実践
わたしが実践している”輪郭のない設計図”となる、
**わたしの”いま”を記録**する
【導入】観察の先にある、「行動の記録」という選択
「自分を見つめる」という行為は、静かで繊細な観察の積み重ねだった。
そして今、私はその“観察”を、行動の記録へとつなげようとしている。
それは「結果を残す記録」ではない。
むしろ、“未完成で揺れ動いている今の自分”を、そのまま残していくための輪郭のない設計図。
行動に意味を与えるのではなく、
行動そのものを、記録によって「意味の器」にしていくような感覚。
その日、その瞬間の“わたし”が、そこに確かに存在していたという証を残すために──。
自分を観察した、そのあとに
前回の記事では、
「自分を観察する」という行為が、どれほど複雑で、
それでも意味のある営みであるかを掘り下げた。
前回の記事「わたしは、自分を見つめられるか?」はこちら👇

観察しようとすることで、
感情や思考の“質”が変化してしまうパラドックス。
それでも私たちは、自分自身に気づき、
言語化し、理解しようとする。
その「気づいたあとの世界」を、私はどう生きるのか?
──その問いの答えとして、私は「記録する」という行為を選びたい。
1日3行、“輪郭のない行動ログ”の記録
➡️ なぜ「記録」なのか?行動ログが”観察”を日常に落とし込む理由
- 行動の記録は、“観察の実践版”である
- 内面の気づきを、現実に“根を下ろす”ための装置になる
- 小さな行動から、“生きている感覚”を回復できる
💬 観察 → 気づき → 曖昧な輪郭 → 行動 → 記録 → 再観察
この循環を繰り返すことが、「未完成な自分」を育てていく
➡️ フォーマット例:1日3行の“設計図ログ”
- [見出し]:今日の自分のテーマ
- [気づき]:その日の行動や感覚、内的変化
- [次の問い]:明日に持ち越す問い、余白としての言葉
✏️ 実例:
- [見出し]:「手放せなかった時間」
- [気づき]:気づいたら、スマホに3時間。罪悪感よりも、疲れがあった。
- [次の問い]:「疲れたときの自分は、どう癒してあげられるだろう?」
➡️ なぜ”3行”なのか?脳科学と心理学でひも解く”ちょうどいい記録法”
「3行」という制約は、自己否定や完璧主義を遠ざける”やさしいハードル”でもある。
書けなかった日にも罪悪感が残らず、書けた日は少しだけ「自分を記録できた」という小さな達成感がある。
📚 脳科学・心理学的な補足|「3行」の”3”という数字の持つ意味
✅ ワーキングメモリの限界と「3の最適性」
- 人間の脳(特に前頭前皮質)は、一度に処理できる情報の容量に限界があり、一般的に3~5個の情報が限界とされています。
- 「マジカルナンバー7±2(ミラーの法則)」よりも最近の研究では、”4~7”がもっとも負荷なく保持できる情報量とされている。
💠 意義:
「3行」は、脳が自然に処理・処理できる最適な単位であり、継続しやすい認知的負荷の低い記録方式。
✅ 「3」は構造をつくる心理的基本単位
- 心理学や物語構造では、「起承転結」や「三幕構成」に代表されるように、3つまでひとまとまりの安心感がある。
- 人間は、3つあるとパターンや意味を見出そうとする認知傾向がある(ゲシュタルト心理学的視点)。
💠 意義:
3行で記録することで、無意識に**「意味の構造」を感じやすくなり、記録に対する満足度や納得感が上がる。**
✅ 選択のパラドックスと”ちょうどよさ”
- 心理学では、選択肢が多すぎると迷いやすくなる(選択のパラドックス)。
- 一方、「3つまで」に限定することで、自己判断がスムーズになり、迷いが減る。
💠 意義:
書くことに迷わず取り掛かれる「ちょうどよい選択数」としての3は、継続可能に優れている。
未完成な自分を肯定するということ
何か目標に向かって取り組んでいる時、
あなたは何をイメージしますか?
目標を達成した自分をイメージ。
では、”いま”の自分と目標を達成する自分の完成形をイメージしてみると
落胆あるいは、失望──(やはり自分には無理...)
そんな、マイナス思考が頭によぎる──
完成形の自分と”いま”の自分との差から生まれる
マイナスイメージとマイナス思考。
脳内でまだ見ぬ**完成形の自分**がトリガーとなり、
わたしの”いま”を見下している。
この瞬間に、自我がわたしの”いま”と離れていきます。
未完成な自分を肯定することで、自我はわたしの”いま”に戻り、
マイナスイメージやマイナス思考に支配されることなく、
冷静にわたしの”いま”を鑑みることができます。
【結論】観察から行動へ。行動から記録へ。記録から、また問いへ。
自分を観察するという行為は、静かな探求だった。
その延長線上に、日々の行動があり、
行動の延長に、記録という灯火がある。
誰に見せるでもなく、
意味づけを急がず、
ただ「今のわたし」に触れるために書く──。
”記録”というのは、過去をただ保存するためだけではない。
未来の自分が”今の自分”に触れるための、静かな編集作業だ。
書くことで、私は少しずつ「どんな自分になりたいか」の輪郭を整えていく。
すなわち、このブログ記事そのものが”未来のわたしへの手紙”でもある。
🔍 あなたの”設計図ログ”を書いてみませんか?
🔖 今日のテーマは?
🔖 今日の気づきは?
🔖 明日につなぐ問いは?
小さな記録が、あなたの「いま」を肯定するひとつの光になるかもしれません。
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