季節・身体・感情の関係性を科学的視点+独自視点で紐解く
わたしの身体は、季節に反応する。
とくに6月から9月にかけて、呼吸が浅くなり、気分が落ち込みやすくなる。
これは単なる体調の問題ではなく、感情や思考、そして“わたしという存在”全体に影響を及ぼしている気がする。
この記事では、そんな体験をもとに、科学的視点と自分自身の気づきを重ねながら、「変わらないわたし」との付き合い方を探っていく。
毎年の”繰り返し”に気付いた時の、心の声
6月になると、空気が変わる。
湿度と気圧のせいだろうか。わたしの気管支は、毎年のように反応して、呼吸が浅くなる。
同じように、季節や体調の変化で心が揺れる人もいるかもしれない。
これは、そんな「変われない自分」と向き合う記録でもある。
この感覚にはもう、何年も付き合っている。
それなのに、いまだに慣れない。
症状そのものよりも、「また今年もきたか」「学習してないな、自分」と、自分を責めるような感情がやってくる。
変わり続けることを肯定したい。
でも、こうして同じ反応を繰り返す自分を前にすると、「わたしは本当に、変わっているのだろうか?」と、ふと立ち止まってしまう。

わたしの実感:身体の反応に、感情が引きずられる
息がしづらい。思考も鈍くなる。
感情がふわふわと不安定になり、些細なことで落ち込んだり、苛立ったりする。
わたしは今、不調なのだと理解している。
頭では分かっているけれど、心のほうがついてこない。
「こんなはずじゃない」
「また同じことで崩れている」
そんなふうに、無意識のうちに”自分責め”がはじまっている。
でも、その責めの声すらも、きっと身体の反応の一部なのかもしれない。
科学的視点:身体と感情のつながり
人間の感情と身体は切り離せない関係にある。
たとえば、呼吸が浅くなると、脳への酸素供給が減少し、前頭前野などの認知・感情調整を担う領域の活動が低下すると報告されている。
「低酸素状態では前頭前野と海馬における神経活動が抑制され、記憶力や感情制御機能に悪影響を及ぼす」
— Zhang et al., 2016, Frontiers in Neuroscience
また、喘息における自律神経系の不均衡(特に副交感神経の過剰な緊張)は、気管支の収縮と同時に、無気力感・抑うつ的感情と結びつく可能性があると考えられている。
「喘息患者では、副交感神経優位の状態と抑うつ・不安との相関が複数報告されている」
— Chen et al., 2014, Journal of Asthma
さらに、呼吸と感情は双方向に影響しあっており、浅く早い呼吸は不安やストレスを誘発し、逆に、意図的に呼吸を整えることで感情の安定が促されるという実験結果もある。
「スローブリージング(6呼吸/分)は、自律神経のバランスを整え、前頭前野のα波活性を高め、不安・抑うつ感を軽減する」
— Zaccaro et al., 2018, International Journal of Psychophysiology
また、最近の神経科学研究では、意図的に呼吸を遅らせることで不安を軽減する脳内経路が特定されている。
「dACC(前帯状皮質:情動のモニタリングに関わる部位)と脳幹呼吸制御中枢を結ぶ回路が、意識的な呼吸制御と情動抑制に関与している」
— ScienceDaily, 2024年報道記事
このような科学的視点と実体験から、脳は過去の記憶と現在の身体感覚を結びつけるのではないか?
たとえば、「この湿気」「この呼吸の重さ」といった感覚は、過去に感じたツラさとセットで記憶されていて、同じ季節に再生される。
つまりわたしは、「学習していない」のではなく、むしろ**脳が学習しすぎて、毎年”自動的に再生している”だけなのかもしれない。**
変わらないように見える自分を、観察してみる
ここまでくると、「変わらないわたし」も、ちょっとだけ違って見えてくる。
たしかに、同じように身体が反応している。
今年は、少しだけ早く気づいた。
「あ、きたな」と思ったとき、自分を完全に否定する前に、ほんの少しの観察の余地が生まれていた。
呼吸が浅くなるわたし。
落ち込んでしまうわたし。
その全部に、”またダメだ”と決めつけるのではなく、「それでも生きているわたしがここにいる」と、ただ見ている感覚。
この”気づき”が、小さな変化の兆しなのかもしれない。

結論:変化とは、結果ではなく”気づき”のことかもしれない
「変わる」とは、目に見える劇的な変化を意味するものばかりではない。
わたしのように、毎年同じ季節に同じ反応を繰り返しているように見えても、
その中に、ほんのわずかな”気づき”や”距離の取り方”の変化があるなら、それは確かに変化していることだと思う。
身体は正直だ。
それに付き合う感情もまた、正直すぎるくらいだ。
だからこそ、変わらなさに落ち込むのではなく、その中にある”違い”に気付ける自分を、少しずつ育てていきたい。
あとがき
「わたしの変化は小さいのかもしれない」
そう思ったのは、変化を求めてきた証でもある。
身体と心のループに巻き込まれながら、
それでも毎年、少しずつ違う角度で”わたし”を見つめ直している。
変化とは、きっと気づきの積み重ね。
何も変わっていないように見える日々の中で、静かに生まれているのだ。
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