──無意識から有意識へ。体内感覚を目覚めさせる、小さな実践
思考が止まらないとき、私は「呼吸」に戻る
どんなに考えても、思考が止まらないときがある。
そんなとき、私は呼吸に戻るようにしている。
普段の私たちは、呼吸を”している”というより、”されている”状態で生きている。
それはあまりにも自然で、自動的で、意識すらしないほど無意識に行われている動作だ。
でも私は、意識的に呼吸に戻ることで、自分の内側の”ざわつき”に少しずつ気付けるようになった。
呼吸は「いまここ」に戻るツール
深く吸って、ゆっくり吐く──たったそれだけのことが、自分の状態を大きく変えてくれる。
頭の中でグルグル回っていた思考の輪が、少しずつほどけていく。
私がよくやるのは、ただ鼻から大きく息を吸って、吐くときは限界までゆっくり吐く。それだけ。
別にテクニックはいらない。
大切なのは「意識を向ける」ということ。
今、吸っている。今、吐いている。
ただそれだけを感じてみる。
すると、注意が自然と”今この瞬間”に戻ってくる。
脳が「いま」に戻ると、細胞たちが輪郭のない自我を包み込んでくれる
呼吸に意識を向けると、脳の働きが変わる。
ただの空気の出入りが、「感覚」に変わる。
体の内側の、もっと小さな場所──細胞たちにまで意識が届くような気がする。
そして、細胞たちが輪郭のない自我を包み込むように、
「いまのわたし」を形成していく。
「わたしは、生きているんだな」と、じんわりと実感する瞬間。
たぶん、それが私にとっての”整う”という感覚。
この感覚を、自分のものとして味わうには、練習が必要だった。
最初は呼吸に意識を向けても、すぐに思考に持っていかれた。
けれども、何度も何度も戻ってくる練習をしているうちに、
「戻れる自分」が少しずつ育ってきた気がする。
「戻れる自分」が育っていくまでの記録
最初は、呼吸に意識を向けても、脳内で暴れまわる思考が強すぎて変化を感じられなかった。
「あれもやらないと…」「なぜ?あの時言われたのだろう?」──
あまりにも自由奔放で無邪気な記憶たちは、到底思考とは言い切れない身勝手に、思考の領域を占領していく。
それでも、私はあきらめなかった。
戻れなくてもいいから、「いまのわたしは何を見ている?」「いまのわたしはどんな匂いを感じている?」少しだけ五感に語りかけてみる。
そんなふうに、ささやかに”挑む”ことから始めた。
ある日、窓から差し込む光に導かれるようにベランダに出たとき。
ぼんやりと太陽を感じながら、私は聞こえない声を感じた。
「今…吸っている…」
「いま…吐いている…」
音と認識していないその声が、脳内にほのかに響いた。
それからの練習中も、
思考が暴れまわりながらも、私はそれを「感じている」と気づけるようになった。
心臓の鼓動一つひとつに呼応するように、
思考たちは静かに、どこかへ消えていく──そんな感覚があった。
その実感が、少しずつ「戻れる自分」を育てていったのだと思う。
私がやっている、小さな呼吸の習慣
タイミング | 行っている呼吸 | 意図・効果 |
---|---|---|
🌅 朝(起床直後) | ベッドの中で2〜5回の深呼吸 | 呼吸だけを目覚めさせる |
💻 仕事や作業前 | 屈伸しながら、吸って吐くを1回だけ全力で | スイッチの切り替え |
🧠 頭が重くなったとき | 目を閉じて2〜5回「今」に戻る呼吸 | 思考を静め、リセット |
🌙 夜寝る前 | 感謝の言葉とともに2〜5回の呼吸 | 穏やかな眠りへ |
このルールは絶対じゃない。忘れてしまう日もある。
でも、それでいい。呼吸はいつでも戻れる場所。
そして、戻った時には、確かな”わたし”がいる。

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さいごに──呼吸は「ここにいる」を思い出す行為
地球という環境下にいる“わたしたち”は、無意識レベルで呼吸が行われている。
その一瞬一瞬にさえ、私たちは「ここにいる」ことを思い出しているのかもしれない。
無意識から有意識へと切り替える呼吸の中で、
無邪気で、自由奔放で、身勝手に暴れまわる記憶と思考たちが、
呼吸とともに静かに、外へと吐き出されていく。
ただ、自分の“いま”に気づくこと。
それが、私にとっての呼吸であり、
生きるということの、根っこにいちばん近い。
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