はじめに
この記事は、比喩表現の背景に物理的な金属が関わっています。
書き手と読み手でどのような差異があるのか?
筆者である”わたし”の好奇心と探求心から文章として記録しています。
また、記事に登場した金属たちは別途深掘りしたいと考えています。
かつて、わたしは「純粋」であろうとした。
余計なものは混ぜず、濁らず、ブレずに、ひとつの美しい何かとして存在したかった。
けれども──いつしか気づいた。
その”純粋さ”は、確かに美しいけれど、あまりに柔らかく、あまりに扱いづらい。
強くなるには、変わるしかなかった。混ざるしかなかった。
わたしはいま、いくつかの素材でできている。
経験、矛盾、他者、沈黙、情熱。
そしてそれぞれの”配合比”が、その時々のわたしを形づくっている。
それは、まるで合金のようだと思った。
純粋過ぎると、やわらかすぎる
最も純粋なものは、最も壊れやすい。
純金のように。柔らかく、変形しやすく、美しさと引き換えに実用性を欠く。
あの頃のわたしは、まさにそうだった。
まっすぐで、理想を抱えていて、でもどこかで脆くて。
誰にも触れてほしくなかった。
なぜなら、一度でも傷がついたら、自分の価値がなくなるような気がしていたから。
金(ゴールド)の性質
金は、見た目にも手触りとしても、私たちにとっては明らかに”固い金属”に感じられます。
しかし物理学的には、金は展延性(のばしやすさ)や延性(変形しやすさ)に優れた金属で、”やわらかい金属”の代表格とも言われます。
例えば、はんだに使われる鉛+スズの合金もやわらかさでは知られていますが、金はそれらと比べても、驚くほど薄く引き伸ばすことができる性質を持っています。
実際、1gの金は理論上、直径1ミクロン以下の金線としておよそ2kmもの長さに引き延ばせるとされており、金属の中でも特に高い展延性をもっています。
この「加工しやすさ」と「変質しにくさ(酸化しにくい)」の両立が、他の柔らかい金属(たとえば鉛)とは違う、金という素材の独自性でもあります。
やわらかくても、形を変えられても、変質しにくい。
傷つきやすく価値の高さが、同時にそこにある。
一見、相反するようでいて、実は絶妙に釣り合っている性質を持つ金属──
だからこそ、わたしたちは金に”意味”や”永続性”を重ねたくなるのかもしれません。
視点 | 金 | 鉛(+スズ) |
---|---|---|
展延性 | 非常に高い(極限まで薄く・細く) | 高い(やわらかく加工しやすい) |
酸化・劣化 | 非常にしにくい(安定) | 酸化しやすく劣化する |
比喩的象徴性 | 価値・永続性・繊細さ | 消耗品・補助材(※悪くないが象徴性が違う) |
混ざることでしか、生まれなかった強さ
それでも、人は一人で生きてはいけない。
誰かと関わり、予期せぬものとぶつかり、知らなった自分を知る。
ブロンズという合金がそうであるように──
わたしも、異なる要素と混ざることで、”強さ”と”しなやかさ”を手に入れてきた。
時間が経つほど、表面は酸化し、色も変わっていくけれども、
その変化すらも、”味”になるのだと教えてくれた。
ブロンズ(銅+スズ)の性質
ブロンズは、銅とスズを混ぜた合金で、両者の弱点を補い合うように設計された素材です。
単体の銅は比較的やわらかく、スズも脆さがある金属ですが、
それらを適切な比率で混ぜることで、より硬く、腐食に強い金属に生まれ変わります。
ブロンズは文明初期から使われてきた”機能と美しさを兼ねた素材”でもあり、
その緑青(酸化による表面変化)すら味わいの一部として評価される金属です。
混ざることでこそ機能する素材。
それは、ひとりでは成り立たない”わたし”の姿にも、どこか似ているのかもしれません。
錆びないために、冷たさを選んだ
ある時期のわたしは、感情を封じた。
何も感じないふりをして、何も響かないようにしていた。
それはまるで、ステンレスのようだった。
外部の刺激をはじき返し、傷もつかず、決して錆びない構造。
でもその裏には、見せたくない”脆さ”が隠れていた。
本当はすぐに傷ついてしまうから、鉄をクロムで覆うように、自分を冷たく加工したのだ。
ステンレス(鉄+クロム+ニッケルなど)の性質
ステンレスは、鉄をベースにクロムやニッケルを加えた合金で、
最大の特徴はその「錆びにくさ」にあります。
これは、クロムが空気中の酸素と結びついてできる「保護膜」によって、
内部の鉄が空気や水と直接触れないよう守られているためです。
つまり、”冷たく・無機質に見える外見”は、実は傷つかないための自己防衛構造なのです。
わたしたちもまた、ときに”感情を見せない”ことで自分を守ろうとする。
ステンレスのように、表面を強く装いながらも、その奥には繊細な鉄を抱えているのかもしれません。
変わらないまま、変化を起こせる存在
他者を動かし、場を整え、空気を和らげる。
けれども自分は、あまり目立たない。
そんな存在に、居心地のよさを感じるようになった。
プラチナのように、自らは変わらず、他を変化させる”触媒”としての生き方。
誰かに影響を与えるには、燃える必要はない。
静かに、しかし確かに、化学反応を起こす存在。
それもまた、ひとつの”強さ”だった。
プラチナ(白金)の性質
プラチナは、非常に安定した金属で、化学的にも物理的にも変化しにくい性質を持っています。
空気や酸にさらされてもほとんど変化せず、酸化しない。
その「変化しにくさ」によって、長期にわたる信頼性と静かな高級感を持つ金属です。
さらにプラチナは「触媒としての役割」にも優れています。
自分自身は変わらずに、周囲の物質に変化を起こさせるという特徴があります。
他者や環境に影響を与えるのに、自分は静かに存在する。
それは、目立たなくとも確かな影響を残す、ある種の”生き方”を映し出しているのかもしれません。
曲がっても、また戻ってくる私がいた
何度も、折れそうになった。
思い描いていた未来から外れ、自分を見失いかけたこともある。
ある日、自分の形を思い出す瞬間があった。
ニチノール──変形しても、熱を加えれば元の形に戻る”形状記憶合金”。
わたしにも、そんな”戻る場所”があった。
いったん曲がってしまっても、消えない”芯”のような何かが、ちゃんと残っていた。
ニチノール(ニッケル+チタン)の性質
ニチノールは、「形状記憶合金」と呼ばれる金属です。
一度変形しても、熱を加えると元の形に戻るという、直感に反する不思議な性質を持っています。
これは、金属内部の結晶構造が変化しながらも、”記憶された形”を保持しているためです。
医療やロボティクスの分野でも利用される、極めて先進的な素材のひとつ。
私たちもまた、どれだけ折れたり曲がったりしても、”自分という形”を思い出す力を持っている。
ニチノールのように、変形しても本質は失われず、必要な”熱”さえあれば戻ってこられる。
おわりに
「混ざってしまったわたし」をずっと否定してきた。
もっと一貫していれば、もっと純粋でいられたら、と。
けれども今、思う。
変化したからこそ、強くなれたのだと。
混ざったからこそ、私だけの”配合比”にたどり着けたのだと。
わたしは、合金のような存在だ。
壊れないために、混ざり合いながら、生きている。
物理的視点で金属にフォーカスする
合金としてのわたしを語るとき、そこには確かに“感情の比喩”があった。
金は、柔らかくても価値がある。ブロンズは、混ざることで強さを得る。
変形しても戻ってくるニチノールには、私自身の回復力を重ねた。
けれど、不思議なことに──
わたしが無意識に選んだこれらの金属には、実際に“そうである理由”がある。
柔らかさも、強さも、錆びにくさも、記憶する性質も。
それらはすべて、物質としての構造と法則に裏打ちされている。
つまり、これはただの比喩ではなかったのかもしれない。
わたしが「これだ」と思ったものには、ちゃんと“素材としての根拠”があった。
それなら次は、その金属たちの性質そのものに目を向けてみたい。
わたしが“重ねてしまった”この素材たちは、一体どんな世界を持っているのか。
わたしという存在が、なぜその金属と響き合ったのか。
その共鳴の理由を、もっと深く探ってみたい。

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