気が付けば何も残らなかった
これは私の日記。
思い知らされる現実に何をしていいのか?何をしたいのか?悩みすら悩みと感じる事が薄くなる。
不思議な感覚でありながら、自身に甘くする事の解放感が心地よい。
こうしてフリーランスをしている私は、実績も結果も残せずただ彷徨い暮らすだけ。
それなのに、心の奥底から沸々と湧き上がる感情がある。
これはなんだ?
目次
転機
人生の転機があった。
子供の障害の関係で、妻の「会社を辞めたくない」という意向から深く悩んだ。
何度も何度も話合い、そして喧嘩までしても妻の意志が変わる事はなかった。
私は子供の抱えている障害を第一に考えると、どうしても教育時間を確保したかったのだ。
将来に向けて、まだまだ子供の可能性がある。例え、障害を抱えている事が弊害であっても、健常者並の自立、生活が送れると信じていた。
絶対的な信念がある以上、妻が会社を辞めないのであれば私が時間を確保するしかない。
私は会社を辞める決意をした。
この瞬間に私の転機があったのだ。
心が壊れた瞬間
契約社員で夜間専門の仕事に就いた。
昼間は、在宅でできるワーキングを少しずつ広げていった。
転職すれば収入が大きく下がる。生活水準も下がる。
しかし、以上に子供との時間が必要だったのだ。
時間と子供の成長は待ってくれない。
早い決断と、早い行動が必要だと考えていたのだ。
ある日、家計簿の話の展開から妻から思いもよらない言葉が飛び出した。
「私が働いてるんだから、家計簿アナタつけてよ。」
「なんでお金貯まらないの?」
「アナタの収入少ないんだから、家事のアレとコレをやって。」
私は、瞬間にブチキレてしまった。
妻は仕事で疲れている理由に子供より先に寝てしまう。それも、黙っていれば週に5日以上続く。
私はこの光景を目の当たりにして、妻の退職を懇願していたのだ。
私も会社を辞めたくなかった。しかし、子供の将来が関わるとなれば私も考えなくてはならない。
世帯収入として考えても、妻より私の方が稼いでいたのならば尚更、私の転職より妻の転職が良いはず。
この事も話合い、互いに納得した上での私の転職。
私が苦肉の策で転職したにも関わらず、私の行動に対して妻が全くの理解をしていなかったのだ。
壊れてしまった瞬間だった。
壊れたことに気付かず荒れ狂う
以降、家事や子供との接する時間もサボるようになった。
稼いだ貯金も自身の道楽につぎ込み、借金までした。
貯金は長い年月掛かっても、消えるのは一瞬だった。
あまり酒は飲めない方だったが、気が付けば毎日缶ビール2~3リットル飲む有様。
金が底を着いて、道楽も酒も目の前から消え、私は途方に暮れた。
しかしながら、ギリギリのところで理性を保ち自身で始めた在宅ワーキングと夜間専門の仕事は継続した。
だが、それも長く続かなかった。
更に追い打ちをかけるかの如く、妻の身勝手な行動と発言に私は荒れてしまった。
制御ができない。怒りのコントロールができない。
やり場のない自身の怒りの矛先が、ビンタとして妻の頬をとらえた。
何度も話し合った結果
何度となく話し合い、何度となく喧嘩をして、何度となく何気ない日々を過ごして。
結局のところお互いの意思や、考えは平行線のまま。
結果が出ない。
収入面でも不甲斐ない私は、改めて収入を確保できる職業に転職する事を決意した。
当然、子供との時間は無くなる。更には、妻と顔を合わせる時間を減らす為に、労働時間が長く変則的な仕事に転職した。
「これでいい。顔を合わせるから喧嘩になる。子供との時間が取れないことは一旦諦めよう。」と自身に言い聞かせた。
壊れた心とプライドが体を蝕む
転職先で入社後に、必要な書類を書く時にソレは起こった。
なんでもない会社の書類。ただ書くためにペンを持ち、書こうとした。
手が震える。それも異常な震え。
ブルブル震えて、まともに字が書けない。
「!?なぜだ!なぜ震える?」
タバコを吸ったり、書く姿勢を変えたりしても手が震える。
仕方なく一旦その場は書かずに翌日に回した。
翌日に書こうとした。また震えが出る。
何が起こっているのか頭が真っ白になった。
病院に相談に行こうか迷ったが、転職直後に休みも取れない。
仕方なく、そのまま仕事を続けた。業務中に手の震えは出なかったのだ。
業務に支障がなければ問題無いと自身を納得させた。
まとめ
以降、妻との関係も良くなる事はなく、妻の行動に変化も無かった。
私の中で「子供の将来の為に今できる事をやらなければ後悔する」という思いだけは変わらず、また転職をする事になった。
手の震える症状がある事も忘れて。
転職先でも手の震える症状が出たのだ。
確信したが、病院に行くことはしなかった。
現在も病院に行かず治っていない。
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